最近「ESG経営」という言葉がちらほら聞こえるようになってきて、SDGs同様なんか胡散臭いなーと思っています。SDGsの時も個人的にはかなり胡散臭さを感じていて、電車であのカラフルなバッジを付けている人を見る度にうーんと思っていたのですが、この胡散臭さはどこから来るのかというと、恐らくESG経営であれ、SDGsであれ、「本気で自分事として解決しようとしていない人が語るESG経営(SDGs)は胡散臭い」のではないかと思い当たりました。
ESG経営もSDGsも「環境や社会への配慮、コーポレート・ガバナンスの遵守等を重視し、持続可能な社会・企業を実現する」ということが目的らしいので、大事か大事じゃないかで言えば大事だとは思うのですが、ではESG経営やSDGsを本気で実現しようと思えば具体的にどのようなことをやるべきなのか、ということについて深く検討することなく、とりあえずやってる感を出そうというノリで、ごみ袋を有料にしたり、コーポレートガバナンスコードを設定したりなど、上辺をなぞるような施策が出てきて、実施した施策の効果測定がされないまま何となく終わる、という結末を迎えるように思います。
前置きが長くなりましたが何が言いたいかと言うと、「日本の企業は建前を気にする仕事が多く、その仕事が企業の生産性を下げているのではないか」ということです。ESG経営はその最たるもので、「しっかりコンプライアンスを考慮している企業です」というポーズを取りたいがためにESG経営を標榜しているようにしか見えず、「仏作って魂入れず」を地で行くような仕事だと思います。もし仮にESG経営が本気で日本のため、社会のために必要だという政治家や経営者が日本の中枢に多くいるのであれば、もっと行動や成果が具体的に示されているはずで、そうではないからいつまで経ってもキャッチーなワードだけが一人歩きして、話が全く前に進んでいかないのではないかと思います。建前を気にする仕事というのはモチベーションも上がらないですし、自分の意思でする仕事ではないためスキルも積み上がりづらく、再現性も担保しづらいという、担当する人にとっては何のメリットもない仕事です。キャリアという観点で考えた時、自分が本音で心から「この仕事は自分のため、会社のため、顧客のため、社会のためになる」と思える仕事をやる割合が多ければ多いほど、実のある経験やスキルが積み上がっていくような気がします。そのため、まずは自分の「本音」をしっかりと認識し、その上で今の仕事とのギャップを認識することが、転職をするにせよしないにせよ重要なことだと思います。
私がこの「本音と建前」という話題に改めて触れようと思ったのは例のジャニーズの問題がきっかけで、この件について様々なジャニーズの方がテレビでコメントしていますが、いいコメントだなーと感心したのはいずれも「本音で」「自分の言葉で」しゃべっている方々で、「建前で」「どこかから借りてきたような言葉で」しゃべっている方々のコメントはあまり刺さらず、むしろしゃべればしゃべるほどマイナスイメージが増幅していくような印象を受けます。まさに「自分の意思で踊っていた」人と、「他人の意思を自分の意思であると勘違いして踊らされていた」人が如実に表れたような格好です。同じような境遇で同じような仕事をしている同じような年代の方でも、仕事の取り組み方によってこうも人間としての深さが変わってくるのか、ということを残酷なまでに見せつけられているような気がして、ある種の恐怖心を覚えました。少なくとも自分自身は、できるだけ本音で物事に取り組み、できるだけ自分の言葉で意思表示をしていきたい、と思いを新たにした次第です。