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協調性の功罪

2023.12.01 その他

元陸上自衛隊のインフルエンサーの方が書いている、体育会系組織では非常に優秀な「協調性があり、素直で熱い人」が一般社会では大して役に立たない場合がある、という記事を読んで、これは一般社会でも大いに当てはまるところがあるなあ、と思いましたので、今日はこのテーマについて考えていきたいと思います。

私も一応大学で部活をやっており、就職活動におけるカテゴライズは体育会系でした。私の就職活動は第一志望の業界に行けず失敗であったと思っているのですが、今になって思うと大学一年時の気の迷いで体育会系の部活に入ってしまったがゆえに、自分のパーソナリティと相反するところをアピールしていた点が失敗の大きな要因であるような気がします。体育会系の売りとしては、「協調性がある(従順である)」「体力がある」「一度やると決めたことは最後までやり遂げる」などがあるかと思いますが、これらの特徴は実務者層の段階においては非常に重宝され、上司のマネージャーからは「非常に使いやすい人材」と評価される可能性が高いように思いますので、その辺りを期待して体育会系の人材を採用したくなる気持ちは非常によくわかります。特に「協調性」「素直な心」というのはいわば企業で働くための「必要条件」であり、いわゆる「守・破・離」でいうところの「守」の段階においては、周りの人とうまくやりながら、上司の言うことを素直に聞いて実行に移すということは、仕事の基本や型を身に付けるためには非常に重要で、体育会系の人材というのはこの点は問題なく持ち合わせている人が多いように思います。
しかし、「協調性」を持ち言うなれば「上司のいいなり」になることで、上司の意思を忠実に遂行し、自分で意思決定を行わずマネージャーになった人材は、自分の意思で物事を動かす立場になった時に壁に当たります。いわゆる「守・破・離」でいうところの「破」「離」の段階においては、「協調性の高さ」を強みとして世の中をわたってきた人は自分の強み・独自性を発揮できず、マネージャーとして成果を出せない、ということが往々にして起こります。「一番乗りで課長になった人の多くは、一番乗りで部長にはなれない」と言われたりしますが、これは課長になるまでは上司の言うことを素直に聞く人が早く出世するが、課長になってからは上手に周りを使いながら、自分の色を出して成果を上げられる人が出世するためではないか、と思います。つまり、あまりにも協調性がない人はリーダーになるチャンスすらもらえないため問題ですが、協調性だけで生きてきた人もフォロワーとしては有能ですが、リーダーとしては自分の意思が出てこないため、こちらもまた問題である、ということです。

特にこれから正解がなく、ますます変化の激しい時代に入るでしょうから、上司の指示が間違っているかもしれない中、「協調性があり、上司の指示に素直に従います」というところのみを強みとする従来の体育会系の人材の価値は低下していく可能性が高いように思います。そもそもビジネスは再現性が重要で、再現性を担保するためには「論理」や「因果」をしっかりと言語化して理解しておくことが重要であるところ、「体育会系なので理不尽なことに耐えられます!」というところが強みの人が来ても、「いやいやそもそも「理」がないと困るんですけど…」という風に普通ならなる気がしますが、そこが今まで「言うこと聞きそうだからOK!」となっていたところに日本社会・日本企業の特殊性を見るような気がします。一方で入社するや否や御託を並べる人には「いいからやれよ!」と言いたくなる気持ちもわかりますし、要は「協調性」は企業で活躍するための必要条件であって十分条件ではなく、「協調性を持ちながら、必要に応じて自分の意見を持ち適切に主張してみんなを導いていける人材」でなければマネージャー・リーダーは務まらない、ということです。

ちなみに私は協調性がなく、就職してから上司の指示を素直に聞くほうではありませんでしたが、就職活動時には自分が協調性がないという認識はなく、一般的な体育会系であることの強みを前面に出してアピールしていましたので、その辺りが自分の本当のパーソナリティとマッチしていなかったため、上手く行かなかったのだろうと分析しています。それにしても最初に入った会社の上司・先輩には本当に生意気なことばかり言って多大なるご迷惑をお掛けしていたので、一人一人謝罪に行脚したい気持ちでいっぱいです…。